毒親に苦しむ39歳の子育て模索〜対策・解決方法はありますか?〜

子供ができたのをきっかけに、自分の親が毒親であることに気がつきました。「負の連鎖」を断ち切るため、どうしたらいいのか、悩み続けています。

離婚したい〜不妊・出産の果てに〜

毒親に育った人間は

毒親育ちと結婚する。

 

これが世の法則ではないだろうか?

 

僕の母親は毒親だった。

 

子供と愛情で結びつくのではなく

理屈で支配しようとした。

 

そんなことを知らずに育った僕と結婚したのは

やはり、親とは支配関係にあった女性だった。

 

働いて

彼女は、働かない。

 

結婚したての頃

僕は妻となった人間に

必死に働く必要性を訴えた。

 

「僕は仕事でどんどん鍛えられていく。あなたも働かないとどんどんレベルが違っていく。みる世界が違うようになる。夫婦間がうまくいかなくなる」

 

妻は笑って聞き流した。

 

しまいにはケンカになった。

 

それ以来、妻はハローワークで求人票だけ取りに行った。

 

妻の言い分は

「すぐに子供をうむから働く必要はない」

 

僕は子供を生む前だからこそ働いてほしかった。

 

社会の歯車になる大変さを体感してほしかった。

 

その経験こそが

子育てにも必要だからだ。

 

でも、いくら言っても妻は聞く耳をもたなかった。

 

いくら言っても響かない。

 

心底バカバカしくなって

ケンカもやめてしまった。

 

あれから7年間

僕らは不妊夫婦を続けた。

 

子供ができなかった。

 

妻は

精子が減るから風呂につかるな、シャワー だけにしろ」

と忠告した。

 

しまいには

精子の数の検査を受けろ」

と要求した。

 

問題なのは妻の方だとわかっていたが

付き合ってやった。

 

僕自身なぜ生きてるのかよくわからなかったし

妻が不憫で妊娠させてやりたかった。

 

不妊に関する本をたくさん読んだ。

 

結局行き着いたのは

「ストレス」をいかに減らすかだった。

 

不妊治療については

西洋医学で語られがちだ。

 

しかし、僕の結論として

不妊治療には東洋医学が向いているように感じた。

 

妊娠というのはゼロイチを生み出す作業だ。

 

膨大なエネルギーが必要になる。

 

妊娠とはあまりに不変な出来事なせいか

どうも忘れられがちだが

妊娠は膨大なエネルギーを必要とするのだ。

 

そう気づいた僕は

妻のエネルギーが妊娠に集中できるよう

妻のストレスを取り除くために徹底した。

 

まず「不妊ストレス」を解消するため

排卵日にもがっかりしない考え方を埋め込んだ。

 

体内エネルギーを増やし体温を上げるため

定期的に運動をさせようと

一緒に散歩をした。

 

体が温かい状態の方が妊娠に遊離ため

ナスやキュウリなど体を冷やす作用のある食材は

食べるのをやめさせた。

 

仕事もなるべく適当に切り上げて早く家に帰ってあげた。

 

そして

一番欲しがっていた家を買ってあげた。

 

1年後、無事

自然妊娠した。

 

子供

そこで僕は

戸惑いを覚えた。

 

「どんな教育をすべきか?」

 

答えはなかった。

 

ただあるのは

「自分が受けたような教育だけはしていけない」

 

自分の親のようになってはいけない。

 

そうして僕は

自分の親が毒親であることに

ようやく気が付いたのだった。

 

妻も

妻が働かない理由は

「人間関係が苦手」ということだった。

 

妻は結婚後

一度アルバイトをしたことがあった。

 

しかし、内部の人間関係がうまくいかず

最後は文字通り

逃げ帰ってきた。

 

だからそもそも働くつもりがないらしかった。

 

僕は妻に

「働くつもりがないのなら結婚しなかった。働けないのなら障害者だ」

と糾弾した。

 

最初は障害者という表現を否定していた妻だが

きょうのケンカで「障害者だ」と認めた。

 

「なぜ俺だけが苦労して、お前だけがお金を自由に使うのか?」

 

さんざん責め立てると

妻は

「私は裕福な家で育ったから節約でギリギリの生活なんて送れない」

と居直った。

 

「じゃあ働け」

「いやだ」

「じゃあ離婚」

「いやだ」

「じゃあ働け」

「人間関係が苦手」

「じゃあネットで稼げ。転売しろ」

「実店舗がいい。イオンにお店出したい」

「じゃあイオンに行って交渉してこい」

「無理」

「現実的なことを言え」

「ネットでいい。どうするの」

「子供が幼稚園に行っている間に調べろ」

 

こうした趣旨の会話を繰り返した。

 

僕は叫んだ。

 

「小さい頃は家族でいいように使われた。結婚した後は妻にいいように使われている。俺の人生なんなんだ」

 

そして吐き捨てた。

 

「もう働くかどうかの会話はしたくない。これが最後だ。これで働かないなら離婚だ」

 

妻はだまってうなずいた。

 

根本は、妻が自分の母親が毒親だと認めないことだ。

 

その事実から逃げる限り

現実全てから逃げなくてはいけなくなる。

 

毒親から精神的に脱却する前の恋愛相手とは

恋愛なんかできていない。

 

きっときょうも

そのことに気が付かずに

多くの毒親育ちの若者が

もたれあいを恋愛と勘違いして

相手に期待過剰になって日

々を過ごしている。

【それで生きているだけですごい】200311カウンセリング〜笑わせる人間になりたいと明言した日〜

最近「引き込みの法則」なんてこともやり始めたせいか

だいぶ調子がいい。

 

自分が相手を怖がらない限り

相手も自分を怖がらない。

 

相手は自分を受けて入れてくれるんだという前提でいることができれば

相手も自分を受け入れてくれる。

 

そう思えるようになってから

だいぶ人間関係が楽になった。

 

 

ただ、相変わらず激しい動悸は続いている。

 

フリーランスになって

経済的には不安定なままだし

貯蓄を食いつぶす生活は続いている。

 

こうした現実的な問題はとても大きいのだと思う。

 

だから、そこをどう解決するのか?

必死に模索している。

 

そう話すと

カウンセラーは

「脳はずっと葛藤するようになってしまっている。それではエネルギーの消費量がすごいですね」

と言った。

 

でも、僕にはどうしようもないことだった。

 

脳を休ませてただのんびりしている、ということを

これまでやったことがない。

 

それがやれればどんなにいいだろう。

でもできない。

 

ただ、その結果、

僕はずっと勉強を続けてきた。

 

いろんな能力を身につけてきた。

 

今は、その自分をプロデュースするときだ。

 

カウンセラーは

「笑顔の人には自然と人が集まる」と言った。

 

僕は

「そんな人間になりたい。もっと笑える人間になりたい」

そのためには、

もっと心に余裕がないと無理だ。

 

カウンセラーは

「そう思ってる時点でスタートを切っている」と言った。

 

そして、県知事が僕に話してくれた鉄板ネタを披露してみせた。

 

カウンセラーは笑った。

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相手が笑った瞬間、空気が和む。

 

この一瞬が僕は大好きだ。

 

その後の医者の面談では

「君はこの状況で生き続けているだけですごいんだよ」

と言ってくれた。

 

きっと、自分が笑えない分、

相手を笑わせたいと思っているのだろう。

 

高校の友人が僕に言った言葉がある。

「お前の根元は、哲学でも心理学でもない。笑いだ」

 

 

僕はいつか、そこを極めたい。

 

ネタを書きたい。

 

苦しんで苦しんで這いつくばった人間だからこそできる

最高に明るい笑い。

 

それがあるはずなんだ。

 

 

 

 

 

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インナーチャイルドが男性を怖がっていた~0218カウンセリング~

カウンセラーはいつもの通り

「その後どうですか?」

という

お決まりの質問から始まった。

 

 

僕は最近、

安定している、良くなってきた、

と自分では思う。

 

今月、来月と仕事は入ってきたとはいえ

経済的にはまだまだ不安定。

 

相変わらず動悸もある。

 

薬がないと眠れない。

 

 

それでも「良くなってきた」と思えるのは

なぜか?

 

手応えを感じ始めたからだ。

 

 

 

僕は「ありのままの自分」を受け入れてもらえない、

という前提で生きてきた。

 

それはもちろん

毒親」のおかげだ。

 

でも、カウンセラーに通ったり

を読んだりして

少しずつ自分の「インナーチャイルド」と向き合ってきた。

 

絡まった糸をほぐすように。

 

少しずつ、少しずつ。

 

わかってきたのは、

僕は「成人男性が怖い」ということ。

 

「成人男性が怖い」から

僕自身強い警戒心を持ってしまう。

 

それで

慇懃(いんぎん)とした態度になってしまい、

無警戒だった相手も

警戒モードになってしまう。

 

悪循環。

 

僕はこうした中で生きてきた。

 

 

僕は数日間ずっと考えていた。

 

なぜ

「成人男性が怖いのか?」

 

思い当れば、

ごく簡単なことだった。

 

僕は幼少のころ

父親が恐ろしかった。

 

 

 

8時過ぎた布団の中で

3歳の僕は

父が出勤するのを待っていた。

 

彼が出ていくと

僕は布団から出たのだった。

 

父親が出勤するまで我慢できず

オムツに漏らしたこともあった。

 

僕がテレビ局に就職してから

父の態度は一変した。

 

僕が上になったのだ。

 

彼もマスコミに憧れていた。

 

でも受験することもしなかった。

 

それだけ彼にとって

マスコミはハードルの高い場所だったのだ。

 

それが思いがけず

自分の息子がテレビ局に就職してしまった。

 

彼はただただ嬉しそうだった。

 

実家に帰るたびに

視聴率の話をした。

 

僕にはどうでもいい話だった。

 

僕は、

彼のレベルの低さにうんざりしていた。

 

子供のころ、

「鋭い意見」と母が尊敬していた父の発言は

週刊文春」の記事そのままだった。

 

彼は自分でものを考えるふりをして

全く考えられない人間だった。

 

 

僕はさらに、父の妹のおばを訪ねた。

 

そして父の育った環境を聞き取りした。

 

彼女は

「4人兄弟の中で唯一の男だったから、

 それはそれは甘やかされて育った」

と言った。

 

祖父は、ほかに2人男児を生んでいたが、

幼少のころ亡くしていた。

 

父は、

まるで一人っ子のように甘やかされて育てられた、という。

 

僕はこれで合点がいった。

 

父は、ものすごく幼い人間だったのだ。

 

自分が父親になっても

心は子供のままだった。

 

そして、小さい頃の僕に怒鳴り散らした。

 

子供を育てて思うのだけど

子供も理不尽なことに対しては違和感を抱く。

 

もちろん本人はそこまで理解していないけど

違和感を抱く。

 

 

きっと当時の僕、幼少の頃も僕もそうだったのだ。

 

違和感を恐怖で抑え込まれた。

 

僕はその恐怖感を心の中に留め置いたまま

大人になってしまった。

 

それは「強い警戒心」という形で

残り続けた。

 

「強い警戒心」。

 

この「強い警戒心」を解くことができれば…

 

もっとうまくいくのではないか…?

 

そんな疑問、というか

確信みたいのが生まれてきた。

 

 

僕はなるべく

「警戒しない」ことを心掛けた。

 

そして「ありのままの自分でいいんだ」と言い聞かせた。

 

あんなに大嫌いな毒親の影響を受け続けるのが

バカバカしいのだ。

 

 

それから1カ月。

 

どうしたことだろう。

 

どんどんどんどん人間関係が楽なってきた。

 

会話が続くようになってきた。

 

相手の声に緊張の色がなくなってきた。

 

仕事が増え始めた。

 

 

カウンセラーは言った。

「あなたは認められない自分が認めらず苦しんでいる」

「相手が自分を認めてくれる。そう思う自分を許したのだ」

 

 

 

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人間関係のトラブルまで明快に解いてくれるカウリングにホント感謝です〜20200128カウンセリング〜

僕は3週間ごとに心療内科に通っている。

 

抗不安剤パロキセチンと、

睡眠薬マイスリーレンドルミン)を処方してもらっている。

 

睡眠薬を飲まないと2時ぐらいに動機で目が覚めてしまう。

 

眠れなくなったら人生破滅に向かうので

睡眠薬は超重要だ。

 

抗不安剤の効果は自分ではわからないけど、

とりあえず飲んでいる。

 

うつ病ではなく

神経症」なのだそうだ。

診断者:小松信明医師

 

 

 

 

 

脱サラして、

僕は今不安と闘っている。

 

ただ、薬を出してもらうのも大事なんだけど、

それ以上にカウンセリングの時間が僕にとって

ものすごく大事になっている。

 

毎回、悩みに対して明快な答えをもらえるからだ。

 

いつもは、自分の内面を語って掘り起こすんだけど、

きょうは、友人とのトラブルについて聞いてもらった。

 

前段記事:親友と思っていた人とYouTubeを始めたら4本作っただけでトラブって関係断絶〜毒親を持つ人間の限界〜

 

 

ブレている、ことについて語った。

 

「3人で組んでいたが、2対1のようになっていた

 彼らの結論を僕に押し付けるような形になり、とても不快だった。

 僕はブレているのではなく、調整段階だと言ってもわかってもらえない」

 

特に、親友と思っていた人間に「ブレている」と言われるのがたえられなかった。

 

カウンセリングは言った。

 

「ブレていると指摘してきたのは、彼自身がブレていることに対する不安があるから。

 だからあなたの『ブレ』に対して必要以上にナイーブになっているのだろう」

と指摘した。

 

なるほど…

 

なるほどすぎる。

 

彼にとって「僕のブレ」は

親友の無意識下にある不安を刺激しているのだという。

 

でも、親友はその無意識下の不安を意識できていない。

直視するのがまた、恐ろしいのだろう。

 

そう考えれば、

確かにいろんな物事が一本の筋で説明がつく。

 

だから、僕の親友は

もう1人の人間に今べったりなのだ。

 

もう1人は一切ブレない。

 

僕から見れば

「ブレない」=「狭い世界に安住」。

 

「狭い世界だけで生きる」ことで

刺激を回避し

自分を不安から守っている。

 

だから「ブレない」で済む。

 

でも、親友はその「ブレない」姿を本気で尊敬している。

 

もはや主従関係だ。

 

僕は、そのことにも気持ち悪さを感じていた。

 

もう1人も、そういう意味ですごい自分を守っているので

人を雇うのは難しいのではないか?

とカウンセリングは言った。

 

結局みんな、脱サラした経営者として成長段階にあって、

そのことをうまく自分自身理解してなくて

うまく会話で解決できなかったのだろう。

 

 

カウンセリングを通して結論が出た。

 

僕が事業で成功して安定して初めて

僕の親友は僕と接触を再開するべきだろう。

 

親友は

僕の不安定な生活状況を

そばで見ているのが耐えられないのだろう。

 

当の僕本人は

薬を飲みながらだけど、

収入が不安定なのは今だけだから

それほど心配していない。

 

薬の助けを借りながら

なんとか収入安定までいけるのは確信している。

 

そうすれば、また関係も戻るかな。

 

親とは一生さようならだけど

彼らとはそれまでさようなら。

 

 

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親友と思っていた人とYouTubeを始めたら4本作っただけでトラブって関係断絶〜毒親を持つ人間の限界〜

僕と起業仲間でやっているYouTubeだが

4本目アップしたところで

メンバーを差し替えることになった。

 

理由はメンバー間のすれ違い。

 

「楽しくやろう」

「3人で一緒に」

と始めたが

僕は到底楽しくなんかできなかった。

 

 

始める前に、飲み会でその話が出た時だった。

 

3人の間で、YouTubeをやろうという話が出たのは,

これが2回目だった。

 

僕は2人の本気度を確かめたかった。

 

「気付いたら実際に作業をすることになる僕だけが大変な思いをしている」という

貧乏くじを引くのは避けたかったのだ。

 

2人は真顔で

「本気だ」といった。

 

僕は2人を信じた。

 

でも結局2人が積極的に動くことはなかった。

(YouTubeを真剣に見て研究してはくれていたが)

 

 

僕は以前、映像関係の仕事をしていた。

 

実際、

今も仕事として受けることがある。

 

レベルの低いものをYouTubeにアップしたら

僕の仕事のレベルを疑われかねない。

 

かといって、収益にまだなっていないものに、

時間とエネルギーを使いすぎることはできない。

 

サクサクと編集すればいい

と思っていたが

素人が喋りながら食べているのを編集するのは

なかなか大変だった。

 

改めてアナウンサーのすごさを知った。

淀みのない喋り、美しい橋の使い方、食べ方。

 

でも、そこは僕自身織り込み済みのはずだった。

時間をかけて編集するしかない。

 

2人にアドバイスしたところで

一朝一夕でどうなるところでもない。

 

問題は日程調整だ。

 

3人の日程が合わない。

 

ある人は

「俺なしでやってくれていい」

 

???

 

3人でやるんじゃなかったのか?

 

ある人は

「確認してから連絡する」と言って返事が来ない。

ある人は

「保留」と言って連絡がこない。

 

待ってて連絡がこないってどういうことよ?

 

連絡するって、

入社1年目でクリアしているところでしょ??

 

本当にやっていこうという気があるのか??

 

3人でやるんじゃなかったのか??

 

まあいっか。

 

細かいところは気にすまい。

 

頭に来ている自分がいるが

それは「神経症の人間」の特徴だから

敢えて気づかないフリをしないと社会で生きていけない。

 

 

結局、僕が日程調整してアポをとってロケをする。

 

アポを取った方が、

いい映像が取れるからだ。

 

お店側の希望で日程を変更したいと言われれば

急いでメンバーに電話する。

 

するとメンバーはなぜか会社の名前で電話に出る。

 

迷惑そうな声色。

そこから調整して普通の声になる。

 

別にいいけどさ。

 

ロケが終われば終わったで

「サムネイルをもっとかっこよくできないか」などと要望が来る。

 

サムネイルね。

 

わかっている。

 

そこまで手が回らないからやっていないだけだ。

 

そう思うなら自分でやってくれていいのに。

 

サムネイルは、作るのが地味に大変なのだ。

 

 

でも彼は、

絶対に「手伝おうか」とか「俺がやるよ」とは言わない。

 

実際、僕がやった方が上手にできるから

結局僕が引き受ける。

 

でもその頼み方に、

どこかズルさを感じる。

 

そのたびに僕は思う。

 

「3人でやってるんじゃかったっけ??

 2人も手伝えるところあるんじゃないの??」

 

もう一人は

「全面画面にこの文言入れといて!!」

となんともなしにいう。

 

あ〜また作り直し。

 

前回1時間かけて作ったのに。

 

はいまた30分。

 

わからないのかねぇ。

 

この苦労が。

 

俺は2人の下請けか?

 

 

 

 

僕は「3人でやってる」と思うと

事実との齟齬を感じるようになった。

 

早くも「貧乏くじ」をひいていたのだ。

 

ズルい人間、甘えるのが上手な人間にうまく使われる。

使っている方も「使っている」と自意識を持たせないようにやってあげてしまう。

 

もう僕は、次第に

「映像のプロが友人2人の面倒を見ている」という心持になってきた。

 

なので、編集は任せてもらった。

 

その代わり作っているものの責任として、

1本1本視聴率を分析して

視聴者が見たがっている映像を把握した。

 

そうやって分析を重ねながら

リズムの悪い素人のコメントを

1フレ(1秒の30分の1)単位で編集しながら

リズムよくなるように仕上げていく。

 

喋りが素人なので、

編集の時間が思った以上にかかる。

 

地道な作業だ。

 

でも、それしかない。

 

 

 

 

問題は、中国語字幕だった。

 

そもそもこの動画は、

インバウンド向けのラーメン紹介という目的で始めた。

 

しかし、実際は視聴者全員が日本人

中国語字幕が出るたびに視聴率は落ちた。

 

中国語字幕を作るのもけっこう大変だ。

テロップ作るのに、丸1日かかる。

 

中国語にすると、編集機が重たくなるのだ。

 

視聴率が落ちるためのものにエネルギーを費やす。

 

無駄だ。

 

ここで僕は方向転換することにした。

 

とりあえずメインの日本人視聴者のハートをつかむために

日本語テロップを入れる。

 

そして登録者を増やす。

 

別に中国語バージョンを作っていく。

 

 

 

 

メンバー2人には

何も言わずに日本語版をアップした。

 

 

すると2人から

「なぜ日本語なのか?」との指摘が。

 

「早くもブレてる」

 

ブレてる??

 

今は徹底的に迷う時期だ。

本気で探す時期だ。

 

しかし、一人は、

それを良くないことだと思っているらしかった。

 

ぶれているという表現は、

僕の人間性を揶揄しているようにも聞こえた。

 

僕は自分自身が情緒不安定なのは知っている。 

 

だから、ぶれているとかいわれると、

真髄に触れらた気がして、カチンと来る。

 

 

ブレてんじゃないよ。

 

調整してるんだよ。

 

今調整しなければ、どんどん調整しづらくなる。

 

そもそも「台湾人向けのYouTube」なんて

そこまで議論せずなんとかなく

「いいねぇ」って始めた話。

 

むしろ細かい方向転換を繰り返すがの本道だ。

 

でも視聴者が戸惑わないよう

初期段階でテンプレートを作るつもりだ。

 

僕は次のロケスケジュールを紙で準備していた。

 

 

 

 

どれだけ大変な作業か。

仲間の2人にはわかっていてほしいと思った。

 

しかし、彼らはあまりそうした想像をしないようだった

(敢えてしていないんだと思う)。

 

想像力に欠けた2人の結論を

僕も自動的に受け入れねばならないらしかった。

 

・ブレてる。

・あのシーン意味ない。

 

一番映像に詳しく、

一番実働している人間の意見を聞かずに

映像素人の2人で決めちゃう。

 

それを一方的に伝えてくる。

 

軽く反論しても再反論される。

 

それで上から目線じゃないって??

 

なんだよそれ。

僕をこき使っておいて

更にないがしろにするわけ?

 

もういい加減にしろ。

 

だって俺ら友達だぜ??

 

君たち俺の上司だったの??

 

 

以前から「上から目線」は感じていたけど

内容に対して、ぶしつけに指示出してくるのには

我慢ならかった。

 

 

僕がこの強い怒りをぶちまけたら

即「コンビ解消」と相なりました。

 

二人の本気度を確かめるためにも

敢えて怒りを表現したとたん

これだ。

 

お2人の去り方もまた見事なもので。

反省からも逃げる。

 

悪役はあくまで俺だ。

自分たちの無知と無神経さは差し置いて。

 

ずるい人たちだなぁ。

 

僕はこんな処世術、

一生身につけなくていい。

 

前の会社と一緒だ。

僕ができるから仕事が必要以上にまわってくる。

 

でもそれは、ほかの人より苦労しているから。

でも周りはそれがわからない。

 

僕が仕事できるのが、

当たり前だと思っている。

 

そんなわけがない。

ほかの人より一生懸命やっているだけだ。

だからいい成果物ができる。

 

その苦労がわからない人とは組めない。

 

怒りは時間がたてばたつほど凝り固まってしまう。

もう、彼らと組むことはないだろう。

 

神経症にだって尊厳はある。

 

尊厳を守るには、友人を失うこともある。

 

加藤諦三氏に背中を押さなれながら

ケンカした。

参考:平気で他人を攻撃する人たち

「やさしさ」と「冷たさ」の心理(愛蔵版)

 

 

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「あなたは自分の中で踊らされている」〜200107カウンセリング〜

カウンセリングの価値は

「無意識の自分に気付くこと」。

 

今日のカウンセリングでは、

久しぶりにざっくりと奥深くまで入り込んできてくれた。

 

その分、いま僕はグッタリしている。

 

 

きょうは、

正月明けでお医者さんも混んでいた。

 

いつもは

・カウンセラーと話す

・医者と話す

 

という順番だったが

きょうはすぐにお医者さんに通された。

 

いつもと違うパターンに

僕は少し戸惑ってしまった。

 

医者に尋ねる前に

先にカウンセラーに尋ねた。

「きょうはカウンセラーさんとのお話はなしですか?」

 

カウンセラーは一瞬面食らったように止まった後

「では終わってからお話ししましょう」

 

 

突然医者に通されたも

僕は医者と何を話したらいいかわからなかった。

 

いつもカウンセラーと話すことで

自分の内面をつつくことで

医者と話すことができた。

 

内面をつつかない状態で医者を前にすると

僕はあくまで「大人を装った状態」でしかなく

うまく自分の内面を話せなかった。

 

ほとんど話すことなく

医者の部屋をあとにした。

 

 

別室でカウンセラーと向き合った。

 

カウンセラーは何を聞いたらいいかわからないようだった。

 

僕は僕で何を話したらいいかわからなかった。

 

僕らの間で

僕の問題は「育った環境」いわゆる「毒親」のせいだったことがわかっている。

 

改めて何を話したらいいかわからなかった。

 

 

実は、それに加えて、

僕にはこのカウンセラーに対し

わだかまりがあった。

 

僕はそのわだかまりを正直に話すか迷った。

 

38歳の1人の人間として

僕がわだかまりとして抱えていることは

「とても小さいこと」だとわかっているからだ。

 

これを話せば

一般社会では「面倒くさい人」扱いになるのは間違いない。

 

僕にもそれぐらいはわかった。

 

どうしよう…

 

 

「人は矛盾を抱えると無口になる」

 

僕はカウンセラーに対し

矛盾を抱えて無口になっていた。

 

カウンセラーもカウンセラーで無口になった。

 

話したあと、

僕らは和解できるだろうか?

 

和解できなければ、

僕は重要なカウンセリングの場を失うことになる。

 

 

 

沈黙の時間が流れた。

 

 

 

僕は話すことにした。

 

話さなければ話さないで

矛盾を抱え込んでしまう。

 

矛盾を抱えこんだままでは、

カウンセリングは意味をなくしてしまうだろう。

 

僕には「きちんと話す」以外に

選択肢はないようだった。

 

 

矛盾とは何か。

 

話は前回のカウンセリングに遡る。

 

僕は著書もある医者に

「先生は講演はしたことはありますか?」

 

先生は首を振った。

 

医者の部屋を出たあと

カウンセラーに

「先生はあなたとはタイプが違う。あなたは前にグイグイ行くタイプかも知れないけど、先生は引っ込みじあん。本を書くことはできるけど、人前で話すタイプではない」

と言ったのだった。

その人の本:家族医―心の病がなおっていく道

 

カウンセラーの声のトーンが

2段ほど上がったことに

僕は気付かないわけにはいかなかった。

 

僕は

「叱られた」

と思った。

 

「また余計なことを言って人を刺激してしまった」

 

もしかしたら、

僕の発言は「医者をも攻撃した」と

取られたのかも知れなかった。

 

このことがあってのきょうだった。

 

僕は、カウンセラーに避けられているのかな?と感じた。

 

 

無言で向かい合っているカウンセラーに、

正直に話した。

 

「前回の経緯があってのきょうなのかと感じている」

 

 

カウンセラーは

「話してくれてありがたい」と言った。

 

彼女の返答は以下のようなものだった。

 

全く他意はない。

そう受け取ったのなら申し訳ない。

 

医者に直接面会させたのは

きょうすごく混んでいるから。

このタイミングでなければ、

さらに1時間待たせることになっただろう。

 

あなたは医者を絶対視しているところがある。

医者の本を読んでいることもあり

だいぶ尊敬している。

 

私の発言よりも

医者の発言を重視している。

 

だから、医者に面会をさせないわけにはいかない患者と思っている

(医者に面会せずカウンセラーと話すだけの患者もいる)。

 

それ以外に意味はない。

 

 

前回の「講演」に対する指摘も

責めるつもりは全くない。

 

あなたは医者としての先生しか知らないが

私は彼のいろんな面を知っている。

 

トーンが変わったとしたら

そういう本音が声に乗っただけ。

 

医者を守るつもりもさらさらない。

 

僕は深く頷きながら聞いていた。

 

そしてカウンセラーは言った。

 

「その世界観で生きているあなたは、改めて大変だ」

 

そこには

同情もなければ、侮蔑の意思もない、

客観的なニュアンスが含まれていた。

 

カウンセラーは続けた。

 

「あなたは無意識で『自分は嫌われる』『のけ者にされる』という前提があって、

そのアンテナにいろんな言葉が引っかかってしまう。

 

あなたは自分の無意識に踊らされている」

 

なるほど

 

なるほどすぎる…

 

納得している僕に、更に

『「無意識」は「後天的に脳が学んだもの」である』と指摘した。

 

つまり、生まれてから身につけてしまったもの…

 

僕の脳はすぐにフル回転した。

 

それはどこで身につけたものなのだ??

 

このことが思った以上に僕に影響を与えているということか??

参考記事:「お前は嫌われている」という毒母の嘲笑

 

 

わからない…

 

でも、僕の中で僕を支配する「無意識」をまた1つ発見できたことは

大きな収穫だった。

 

僕は「自分は嫌われるものだと思い込んでいる」

 

そしてそのことを証拠付けるために

自分からそうした発言を、敢えて取り込んでいる。

 

なんたる負のスパイラル…

 

気付けてよかった。

 

本当に良かった。

 

自分の無意識に気付くのは

ものすごくエネルギーがいる。

 

たいてい腹を下す。

 

きょう1日、もう何もできないだろう。

 

でも、僕にはとても大事な1日になりそうだ。

 

毒親

 

なんと罪深い存在だろう。

 

人を殺せば罪に問われる。

 

でも、今の社会では

人の心を殺しても罪には問われない。

 

理不尽だ。

 

母よ、早く死んでくれ。

 

 

 

ここまで読んでいただけて本当にうれしいです。

読んでくれる人がいる=この苦しみは僕だけではないと思えます。

 

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妻のことが好きになれない〜不妊脱出の末に〜

結婚して初めて気付くこと。

子供が生まれて初めて気付くこと。

 

たくさんある。

 

 

 

僕らは不妊夫婦だった。

 

7年間子供ができなかった。

 

きつかった。

 

僕の後に結婚した人に

次々と子供ができていく。

 

そんな子供たちが

どんどんと保育園・幼稚園に入園する。

 

でも、僕らは2人のままだった。

 

僕は怖かった。

 

「このまま人生が終わっていくのか」と思うと

恐ろしくてたまらなかった。

 

 

僕はいわゆる「妊活」に注力した。

 

いろんな本を読んだ。

 

雑誌の表紙に

「みんな不妊に苦しんでいる」

という見出しが躍った。

 

卵子の老化」による「不妊」が

認知され始めたころだった。

 

そんなわけで

「妊活」に関する情報も増えていた。

 

僕はひたすら情報を追った。

 

そして一つの結論に行きついた。

 

不妊の原因。

 

それは「ストレス」である。

 

とにかく

「新陳代謝を良くする」

「血行を良くする」ことが

とても大事だとわかった。

 

ただ、

この2つを妨げる最大の原因が

「ストレス」だった。

 

どんな病気も

「ストレス」が最大の敵なのは知っていたけど

「妊娠」も「ストレス」が最大の敵だとわかった。

 

そこで僕は

妻のストレスを最小限にするよう

最大限の努力をした。

 

・仕事を8割で切り上げてなるべく早く家に帰った

・休みはなるべく行きたい場所に連れて行った

・優しくするよう努めた

・「家が欲しい」というので建ててあげた

・ジムに一緒に通い爽やかな汗を流してもらった

排卵(妊娠できず)のせいで泣いても慰め続けた

・「子供をあきらめる」ことがとても大事なことをいろんな視点から何度も何度も伝えた

 

 

医療に頼った「妊活」はしなかった。

 

「出費」が

さらなる「ストレス」を生んでしまうからだ。

 

そうして見事妊娠した。

 

無事生まれた。

 

そして気付いた。

 

僕の親は最低な人間だったことを。

 

親との関係が悪い僕は

まともに妻を選べるはずがないことを。

 

でも、気付いた時には遅かった。

 

僕の子供は

妻の子供でもあった。

 

 

そう結論を下したはずだけど、

そう結論を下したせいか

いまだに「早く離れたい」という思いが残る。

 

いつまでたっても

僕は4人兄弟の3番目で、A型。

妻は一人っ子でB型なのだ。

 

その呪縛からは逃れられない。

 

 

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「『感情の交流』ができない」という指摘~191218カウンセリング~

人間は常に「防衛」しているということを

ご存じだろうか。

 

このことがわかれば、

いろんなことが見えてくる。

 

いろんなことが許せてくる。

 

周りに嫌な人がいるとすれば

たいてい強い「防衛」が働いている。

 

仕事をしない人がいるとしたら

たいてい強い「防衛」が働いている。

 

あなたがに嫌いな人がいるとすれば

その人は、自分自身を強く「防衛」している。

 

強い「防衛」が

強い「見栄」や「攻撃」「さぼる」などの

「行為」になって現れる。

 

 その「防衛」から生まれた「行為」が

あなたの感情を逆なでするのではないだろうか?

 

 

というのも、

僕がそうだったからだ。

 

僕は職場で強く意見することがよくあった。

 

上司に対して、

後輩に対して。

 

 

そして、会社を辞めた。

 

 

自営業となった僕の目の前に、

きょうは心理カウンセラーがいる。

 

カウンセラーは聞いた。

 

「会社で言い合いになったりした後の関係は?

 全く話さなくなる人もいた?」

 

僕は

「一部いた」

 

と答えると、彼女はゆっくりと頷いた。

 

そして言った。

 

「あなたは防衛していたのだ」

 

と確信をもって、けれども諭すように。

 

そして付け加えた。

 

「人は常に防衛している」

 

「あなたは許せないものがたくさんあるんですね。

 許せないというのは、『許せない自分が許せない』んです

 

 小さい頃の環境がそうさせたんでしょうねぇ」

 

 縁を切った毒親の顔が一瞬目の前にちらつく。

 

カウンセラーからの質問は、

「どんなときにストレスを感じるか」

にうつった。

 

僕は答える。

「人と話した日は強いストレスを感じる」

 

カウンセラー

「なぜでしょう」

 

僕。

「自分を作っているからだと思います。

 ありのままの自分を出せないから作っている。

 

 どんな立ち位置でいいかわからないので

 ずっと探っている。

 そんな日は、家に帰った後グッタリ疲れる」

 

と答えた。

 

するとカウンセラーは

「『感情の交流』が苦手なんですね」

と、

何かようやく金脈を掘り当てた、という感じだった。

 

 

 

そうです。

 

僕は「感情の交流」ができないのです。

 

会話は常に「情報の交換」のみ。

 

世間話がすごく苦手。

 

 

僕はそのことを知っていた。

 

加藤諦三氏の本で自覚するに至った。

自分に気づく心理学(愛蔵版)

 ↑読むのにものすごくエネルギーを使います。

 でも、毒親を持つ方には絶対に読んでほしい一冊です。

 

 

いつでも、どこでも、オンラインカウンセリング【cotree】

 

 

 

松本元という脳科学者によると

 

人間は「感情の交流」を行っているとき、

一番脳が活性するという。

 

人間にとって「感情の交流」が一番の幸せなのだそうだ。

 

僕はずっとその「感情の交流」を求めてきた。

 

しかし、結局できずにいた。

 

「感情の交流」を求めて求めて飢えているのに

「感情の交流」ができずにもがいている。

 

「人間にとって一番の幸せ」を体験できずにいる。

 

それが僕だ。

 

 

僕は海外旅行が大好きだ。

 

言葉が通じず、

身振り手振りだけでお互いが笑顔になる。

 

あの瞬間がたまらなく好きだ。

 

それはつまり

「感情の交流」を求めていた、ということなのだろう。

 

「感情の交流」ができずに苦しんでいた、

ということがわかってしまえば、

 

僕は単に

「感情の交流」を求めて海外旅行をしていたことになる。

 

 

そう考えると、

ものすごく虚しくなる。

 

僕は

僕のアイデンティティーの一つに

「海外好き」を挙げていた。

 

猛烈に中国語を勉強して

習得した。

 

でもそれが結局

「感情の交流」目当てだった、とわかった途端

ものすごい虚脱感が僕を襲った。

 

 

僕が僕たらしめていたことが

「感情の交流」目当てだったなんて…

 

 

僕が自分の誇りとしている「海外好き」さえも

「愛情不足」から派生した

「感情の交流」を求めていたなんて…

 

僕はどこまで行っても

言葉通り地球の裏側まで逃げたとしても

「親の愛情不足」から逃れられないのだろうか?

 

 

「気付く」というのは

恐ろしいことである。

 

 

それでもカウンセラーは続けた。

 

「気付けるというのは、

 自分自身に気付ける余裕が出てきた証拠。

 防衛しているときは、

 気付くことを避けるので

 気付くこともない」

 

 

僕はうつむいたまま

一点をじっと見つめていた。

 

わかっている。

僕が意識的に「防衛」を始めたのは

高校生の時だった。

 

だからあのときあんなに涙したのだろう。

参考記事:

心理カウンセリング④〜高校時代を振り返る〜


 

 

カウンセラーは

そんな僕を注意深く観察しながら

さらに続けた。

 

「先生もおっしゃってるが、

 気付かないのが一番危ない。

 まずは気付くこと。

 そのことがとても重要」

 

 

僕はそんな言葉に励まされて

きょうも苦しみながら

このブログを書く。

 

書くことで

毒親で苦しんている漫画家

わたなべぽんさんみたいに

少しずつ消化することができる気がするから。

 

書くことで

きっと僕と同じように苦しむ人と共有できるはずだから。

 

 いつかきっと

毒親」の精神的支配から

脱出できると信じて。

 

 

 

ここまで読んでくださった方、

ありがとうございます。

 

読んでいただけてとてもうれしいです。

 

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191126カウンセリング~絶縁の葛藤~

カウンセリングを受けると、いつも「行ってよかった」と思う。

 

 必ず今の僕に必要な言葉が返ってくる。

 

カウンセリングには3週間おきにいっている。

 

本当は10日から2週間おきにがいいらしいけど、

そのペースで自分の内面と直接向き合うのは正直きつい。

 

実際、カウンセリングに行った日は、何も手に付かない。

参考記事:

kokoandriri.hatenablog.com

 

自分の内面に向き合うだけで、膨大なエネルギーを使う。

 

でも膨大なエネルギーを使う価値は絶対にある。

 

疲れるけど「行ってよかった」と思える。

 

 

僕は親と絶縁して2年半になる。

 

その後の親の言動(メールなど)に対し

さらに怒りを募らせた。

 

一生許すことはないだろう。

 

 

最初は「いつか復縁するだろう」と思っていた。

 

でも、ここまでこじれると、

もうそれもないような気がする。

 

絶縁状態を続けることに対し、

兄弟はまるで理解できないらしかった。

 

友人たちにも理解できないらしい。

 

それは仕方ないと思うけど、

「理解してもらいない」といのは

決して気分のいいことではなかった。

 

そんな折に、前回はカウンセラーさんに

「今のあなたは、そうして親と距離を置くことが必要なのだ」と

言われた。

 

「なるほど」と思った。

 

「誰がどう言おうと、どう思おうと、僕にとって必要なのだ」

と思うと、合点がいった。

 

みんな理解してくれないけど

これでいいのだ。

 

カウンセラーさんもすごいが

医者先生はさらにすごい。

 

医者先生は、自分自身親との関係に苦しみ、治療を受けた経験のある方。

 

著書もある。

 

すごく救われる良書だ。

 

僕もむさぼるように読んだ。

 

Amazon

心の病の診察室―あなたの愛が子どもを救う

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僕はきょう

「親のことは忘れたはずなのに、夢を見る」と話した。

 

医者先生は

「仕方がない」と言った。

 

「30も過ぎれば、それを抱えて生きていくしないのだ」

 

 

 

 

僕は僕なりに、親に対する怒りが

どこから発生したのかを分析してきた。

 

「怒りの原因がわかれば怒りは収まる」と知ったからだ。

 

かの、加藤諦三氏もそのことを指摘している。

 

彼の本にも、どれほど救われたことか。

 

自分に気づく心理学(愛蔵版)

自分に気づく心理学(愛蔵版)

 

 

僕は僕なりに、

親に対する怒りの原因を突き止めたつもりでいた。

 

だから、親に対する感情も、

割り切ったつもりでいた。

 

もう「過去の人だ」と。

 

しかし、それでも夢を見た。

 

夢に見るほど、親の存在は大きいものだとわかり

愕然とした。

 

僕は夢を見たことに戸惑っていた。

 

なぜだ??

 

原因を突き止めたのになぜ夢にまで見る??

 

 

医者先生は言った。

「そんなものだ。それを抱えて生きていくしかないんだよ」

 

僕は聞いた。

「先生もそうなんですか?」

 

彼は答えた。

「もう親は死んだから」

 

「死ぬと解決ですか?」

 

彼は静かに首を振った。

 

治療を受けたことがある、心療内科医でさえこうなのだ。

 

 

 

僕が完全に親を忘れることなどできないのだろう。

 

僕はこの苦痛とともに生きていく。

 

「親が子供に愛情を与えない」ということが、

どれほど罪深いものか。

 

どれほど恐ろしいものか。

 

なぜこれほど重大なことが、社会全体に知られていないのか。

 

僕はきょうも、そんな疑問を抱きながら、日常へと戻る。

 

カウンセリング0903

2週間ぶりのカウンセリング。

 

前回、新しく処方された「パロキセチン錠」の効果について質問された。

 

パロキセチン錠」はうつ状態の人間に処方される薬だ。

 

www.rad-ar.or.jp

 

相変わらず動機と夜中に目が覚めてしまうことに悩まされていた。

 

薬は増やされることになった。

 

薬がどんどん増えていく。

 

安定剤、睡眠薬、うつ対策…

エチゾラムマイスリーレンドルミン

仕方ない。

 

独立して半年。

 

親との絶縁に加え、金銭的な問題、そこから派生する妻との緊張関係が僕を苦しめている。

 

今は薬に頼ってでも乗り切るしかない。

 

 

カウセリングでは、この2週間にあったことを話した。

 

僕は先日、おばに会いにいった。

 

そこで僕の父について聞いてみた。

 

父の実家はお店をやっていた。

 

父は4人兄弟の2番目で、唯一の男の子だった。

 

1番目の姉と、3番目の次女がずいぶんと店の手伝いをさせられたらしい。

 

3番目の次女が、会いにいったおば。

 

「働かられるのが当たり前だと思っていた」という。

 

「じゃあ、俺の親父は何してたの?」

 

「ずっと遊びに行っていた」

 

「なんで手伝えってなんなかったの?」

 

「そりゃー、大事な1人だけの男の子だもの!!甘やかされて育ったんだ」という。

 

『甘やかされて育った』。

 

なるほど。

 

僕はその話を聞いて、いろんなことが氷解した気がした。

 

僕は

「だからあんなにわがままで幼稚なのか…」と呟いた。

 

僕の父は、本当に何もできない人だった。

 

年度末までに提出しなければいけない報告書を、毎年6月ぐらいに提出していた。

 

毎年その時期に決まって追い込まれていた。

 

大した報告書ではなかった。

 

そもそも、県の外郭団体だから、緩い職場だった。

 

家では踏ん反り返っていた。

 

時に時事問題について社会批判を熱く語ることがあって家族を感心させた。

 

しかしそれは「週刊文春」の全くの受け売りなのだと、学生になって「週刊文春」を手に取るようになってから気が付いた。

 

無能な男だった。

 

 

僕は医者に

「父が甘やかされて育ったということがわかった」と話した。

 

医者は

「例えば具体的な例として?」

 

すぐに思いつくのは大した例ではなかったが、僕は

「例えば家族全員で外食する時、僕の意見を無視していつも父の意見に従わざるを得なかった」と話した。

 

医者は

「多くの場合、母親が父親をそうさせている」と話した。

 

 

父については、父の実家と僕の家からも近かったし、祖父母がとても可愛がってくれたので、どんな環境で育ったかは想像がつくし、聞き取り調査も可能だ。

 

しかし、母の実家は車で2時間程度の遠方にあり、年に2回程度しか行く機会がなかった。

 

ただ言えることは、母方の祖母には、僕は「母性」というものを全く感じなかったし、彼女になつくことはなかった。

 

可愛がってもらった記憶もない。

 

そのことを医者に話すと

「母性のない母親に育てられれば、母性のない母親になる」という。

 

さらに僕は質問した。

 

「母の兄が中一ぐらいで亡くなっている。その影響は考えられるか?」

 

「それは母がいくつぐらいのときだ?」

 

「小4か5くらいだと思います」

 

「それなら影響はほとんどない。もっと幼児期であれば影響はあっただろう」

 

「それでは、一人息子を亡くしたことで両親のもとで育った影響は考えられるか?」

 

「それはあるだろう。両親の動揺が影響している。悲しみに接している時間が長い分、精神的な成長が遅れている可能性は高い」

 

重ねて医者が聞いた。

「両親の夫婦関係はどうだった?」

 

「権威的で母を押さえつけていた父だが、僕が小学高学年の頃、母が爆発して関係が逆転した。母が強くなった」

 

「夫婦の関係が悪い中で育つとどうしても愛情不足で不安定になる」と言う。

 

そして続けた。

 

「戦争で自ら命を絶つ兵士は皆お母さんと言って死んでいった」。

 

偶然にも、その話を先日思い出していたところだった。

 

「先生、僕は全然その気持ちが理解できないんです」と言うと

 

「愛情が欠乏してるんだ。そうなると神経症になる」。

 

そうなのだ。

 

僕は神経症なのだ。

 

僕は神経症として生きてきたことを、この歳になってようやく理解したのだ。

 

 

 

 

きょうのカウンセリングで少し原因分析が進んだ。

 

甘やかされて育った父。

 

そのわがままを許した母。

 

でも実際は、母性のない母親に育てられ、自分は夫の幼稚さを受け入れるような母性は持ち合わせていなかった。

 

父のわがままを許しているようで、実際は裏でコントロールすることで乗り切っていた。

 

4人を産んだが、僕の両親は4人を育てるほどの父性も母性も持ち合わせていなかった。

 

4人兄弟の真ん中2人が神経症に陥った。

 

3番目の僕は、神経症ゆえ組織になじめず会社を辞めて独立した。

 

親を許せいない苦しさと、経済的な苦しみと戦い、うつ病になった。

 

人を殺せば国が罪を問うてくれる。

 

しかし、親が子供を無計画で産み、結果神経症に陥らせても誰も親を罰してくれない。

 

僕の苦しみは続く。

 

でも、向き合って分析を続けていけばきっと今より良い方向に迎えるはず。

 

この苦しみを自分の子供に引き継がないために。