毒親に苦しむ39歳の子育て模索〜対策・解決方法はありますか?〜

子供ができたのをきっかけに、自分の親が毒親であることに気がつきました。「負の連鎖」を断ち切るため、どうしたらいいのか、悩み続けています。

心理カウンセリング②〜慟哭の初診〜

僕は意を決して、以前電話した精神科で予約をとった。

 

僕の動悸は、抜き差しならぬものになっていた。

 

11月から通っている職業訓練校では、「Illustrator」や「Photoshop」の授業が行われていた。

 

興味のあることではあるが、1日6時限座りっぱなしで自由がないことは、思った以上にストレスのかかることらしかった。

 

仕事ではある程度自分のペースで仕事ができるが、ここでは、トイレにいく時間さえも管理される。

 

平成生まれという講師の頼りなさもまた、ストレスの原因かも知れなかった。

 

仕事の力がないから故に、やけにすり寄ってくるタイプの講師だった。

 

授業が進むのが遅いのは、おそらくこの講師のやり方の特徴でもあった。

 

 

 11時からの予約をとっていた僕は、強い動悸とともに何とか2時限をやり過ごし、医院へと向かった。

 

診療所は、いかにも「町医者」という、こじんまりとして素朴なものだった。

 

小さな駐車場はいっぱいだった。

 

狭い道に、いくつもの車が縦列で並んでいた。

 

空っ風が吹き込んでしまいそうなガラス戸を開けて入ると、昭和の香りがする内装だった。

 

待合室は、狭かったが、椅子がスペースいっぱいに並べられていた。

 

診療を待っている人たちは、僕の予想に反して、暗い表情はしていなかった。

 

貧相なガラス戸で仕切られた事務室は、若い女性職員や看護師でいっぱいだった。

 

出窓の台に無造作に並べられているに目をやると、この診療所の医師の名前があった。

 

ここの医師は本を出しているのか?

 

僕は待っている間、その「心の病の診察室―あなたの愛が子どもを救うを読んでみた。

心の病の診察室―あなたの愛が子どもを救う

 

なんだこれ。

 

めちゃくちゃいい本じゃないか!!

 

彼の主張は、加藤諦三氏と同じだった。

 

・子どもの頃(思春期を含む)親からの愛を受けてない人は、大人になってから苦しむ。

・苦しみから救うためには、愛を与える必要がある。

・そのためには母親の意識を変える必要がある。

 

衝撃だった。

 

加藤諦三氏と同じような分析をしている人が、こんなに近くにいたとは…

 

しかも、本を数冊出していた。

 

出版するというのは、並のことではないだろう。

 

 

僕の名前が呼ばれ、看護師が僕を個室に案内した。

 

和室だった。

 

ソファもあった。

 

「リラックスできる場所」を意識的に作っているのがわかったが、実際リラックスできる場所だった。

 

そして、看護師(兼心理カウンセラー)の質問が始まった。

 

「どうされました?」

 

「動悸があるんです」

 

「いつごろからですか?」

 

僕は正直に答えていった。

 

「どんなときに動悸がおきますか?」

と質問されたときだった。

 

僕は「仕事などでストレスを抱えたとき」と話した後に

 

「自分でも認めたくないんですが、子どもを抱っこしているときです」と答えた瞬間だった。

 

慟哭してしまった。

 

意外だった。

 

 

双子を抱っこしているときに自分の動悸が激しくなる。

 

最初はそんなわけがない、と思った。

 

最初は、突然抱き上げたから、心臓がゼエゼエいっているだけだと思った。

 

まさか自分が、双子を抱っこすることにストレスを感じているわけがない。

 

そう思っていた。

 

しかし、抱っこするたびに動悸が激しくなるのがわかると、

もう認めないわけにはいかなかった。

 

僕は「子どもを抱っこするのにストレスを感じる父親」なのだ。

 

 

 

これは、現実なのだ。

 

僕は、もう既にこの事実を認めていた。

 

だから、淡々と説明するつもりだった。

 

しかし、口に出した途端だった。

 

涙が溢れ出てきたのだった。

 

僕はしばらくの間、話せなくなった。

 

看護師は、僕にティッシュを渡した上で、肩をさすってくれた。

 

初対面のおっさんが醜態をさらしているが、それはそれで受け止めてくれていた。

 

 

僕が落ち着きを取り戻すと、家族構成を聞かれ

 

「どんな母親だったか?」と質問された。 

 

「ヒステリックで冷淡で、でも自分では自分を愛情深いと思っている人間だと思います。学歴コンプレックスの強い人でした。」

 

と話した。

 

話の流れは覚えていないが

 

「私のことをほめるときはいつも『頭がいい』とほめました。人間性をほめてくれたことはありませんでした」

と言った瞬間だった。

 

一度涙腺がゆるんでしまったせいか、 また僕は慟哭してしまった。

 

わけがわからない。

 

僕は普段、映画なんかでも涙腺が刺激される、ということがほとんどない。

それなのになぜ自分は、こんなにも泣き出す必要があるんだ??

 

「他に何か、こんなこと言われたとか、覚えていることありますか?」

 

なぜそのことを思い出したのかは覚えていない。

 

小さいことだった。

 

「家族全員で、ホームセンターに行った時です」と僕は話した。

 

「母に、棚いるか?と聞かれたんです。

あの頃僕は、何か買うようにねだっても、いつも無視されていました。

そうしているうちに、いつからか、ねだることすらできないようになっていました。

だからその日は、珍しく母から「いるか?」と聞かれて本当にうれしかった。

でも物を欲しがるのは悪だと思いこまされていた自分は、曖昧な返事しかできませんでした。

 

車に戻って後です。

 

母に「あれ?買わなかったの?」と聞きました。

 

すると母は『我が家でははっきりと欲しいと言わない限り買いません!!』とぴしゃりと言ったんです。とても冷たく。突き放すように。

 

ショックでした。

 

とても傷ついたことを覚えています。

 

そして、隣で運転していた父は、何も言いませんでした」 

 

 

あの時の母の表情が忘れられない。

 

そして、こうした心の傷は、誰にも気付かれず、ずっと僕の心を蝕み見続けてきたのだろう。