心理カウンセリング②〜慟哭の初診〜
僕は意を決して、以前電話した精神科で予約をとった。
僕の動悸は、抜き差しならぬものになっていた。
11月から通っている職業訓練校では、「Illustrator」や「Photoshop」の授業が行われていた。
興味のあることではあるが、1日6時限座りっぱなしで自由がないことは、思った以上にストレスのかかることらしかった。
仕事ではある程度自分のペースで仕事ができるが、ここでは、トイレにいく時間さえも管理される。
平成生まれという講師の頼りなさもまた、ストレスの原因かも知れなかった。
仕事の力がないから故に、やけにすり寄ってくるタイプの講師だった。
授業が進むのが遅いのは、おそらくこの講師のやり方の特徴でもあった。
11時からの予約をとっていた僕は、強い動悸とともに何とか2時限をやり過ごし、医院へと向かった。
診療所は、いかにも「町医者」という、こじんまりとして素朴なものだった。
小さな駐車場はいっぱいだった。
狭い道に、いくつもの車が縦列で並んでいた。
空っ風が吹き込んでしまいそうなガラス戸を開けて入ると、昭和の香りがする内装だった。
待合室は、狭かったが、椅子がスペースいっぱいに並べられていた。
診療を待っている人たちは、僕の予想に反して、暗い表情はしていなかった。
貧相なガラス戸で仕切られた事務室は、若い女性職員や看護師でいっぱいだった。
出窓の台に無造作に並べられている本に目をやると、この診療所の医師の名前があった。
ここの医師は本を出しているのか?
僕は待っている間、その「心の病の診察室―あなたの愛が子どもを救う」を読んでみた。
なんだこれ。
めちゃくちゃいい本じゃないか!!
彼の主張は、加藤諦三氏と同じだった。
・子どもの頃(思春期を含む)親からの愛を受けてない人は、大人になってから苦しむ。
・苦しみから救うためには、愛を与える必要がある。
・そのためには母親の意識を変える必要がある。
衝撃だった。
加藤諦三氏と同じような分析をしている人が、こんなに近くにいたとは…
しかも、本を数冊出していた。
出版するというのは、並のことではないだろう。
僕の名前が呼ばれ、看護師が僕を個室に案内した。
和室だった。
ソファもあった。
「リラックスできる場所」を意識的に作っているのがわかったが、実際リラックスできる場所だった。
そして、看護師(兼心理カウンセラー)の質問が始まった。
「どうされました?」
「動悸があるんです」
「いつごろからですか?」
僕は正直に答えていった。
「どんなときに動悸がおきますか?」
と質問されたときだった。
僕は「仕事などでストレスを抱えたとき」と話した後に
「自分でも認めたくないんですが、子どもを抱っこしているときです」と答えた瞬間だった。
慟哭してしまった。
意外だった。
双子を抱っこしているときに自分の動悸が激しくなる。
最初はそんなわけがない、と思った。
最初は、突然抱き上げたから、心臓がゼエゼエいっているだけだと思った。
まさか自分が、双子を抱っこすることにストレスを感じているわけがない。
そう思っていた。
しかし、抱っこするたびに動悸が激しくなるのがわかると、
もう認めないわけにはいかなかった。
僕は「子どもを抱っこするのにストレスを感じる父親」なのだ。
…
…
これは、現実なのだ。
僕は、もう既にこの事実を認めていた。
だから、淡々と説明するつもりだった。
しかし、口に出した途端だった。
涙が溢れ出てきたのだった。
僕はしばらくの間、話せなくなった。
看護師は、僕にティッシュを渡した上で、肩をさすってくれた。
初対面のおっさんが醜態をさらしているが、それはそれで受け止めてくれていた。
僕が落ち着きを取り戻すと、家族構成を聞かれ
「どんな母親だったか?」と質問された。
「ヒステリックで冷淡で、でも自分では自分を愛情深いと思っている人間だと思います。学歴コンプレックスの強い人でした。」
と話した。
話の流れは覚えていないが
「私のことをほめるときはいつも『頭がいい』とほめました。人間性をほめてくれたことはありませんでした」
と言った瞬間だった。
一度涙腺がゆるんでしまったせいか、 また僕は慟哭してしまった。
わけがわからない。
僕は普段、映画なんかでも涙腺が刺激される、ということがほとんどない。
それなのになぜ自分は、こんなにも泣き出す必要があるんだ??
「他に何か、こんなこと言われたとか、覚えていることありますか?」
なぜそのことを思い出したのかは覚えていない。
小さいことだった。
「家族全員で、ホームセンターに行った時です」と僕は話した。
「母に、棚いるか?と聞かれたんです。
あの頃僕は、何か買うようにねだっても、いつも無視されていました。
そうしているうちに、いつからか、ねだることすらできないようになっていました。
だからその日は、珍しく母から「いるか?」と聞かれて本当にうれしかった。
でも「物を欲しがるのは悪」だと思いこまされていた自分は、曖昧な返事しかできませんでした。
車に戻って後です。
母に「あれ?買わなかったの?」と聞きました。
すると母は『我が家でははっきりと欲しいと言わない限り買いません!!』とぴしゃりと言ったんです。とても冷たく。突き放すように。
ショックでした。
とても傷ついたことを覚えています。
そして、隣で運転していた父は、何も言いませんでした」
あの時の母の表情が忘れられない。
そして、こうした心の傷は、誰にも気付かれず、ずっと僕の心を蝕み見続けてきたのだろう。