毒親に苦しむ39歳の子育て模索〜対策・解決方法はありますか?〜

子供ができたのをきっかけに、自分の親が毒親であることに気がつきました。「負の連鎖」を断ち切るため、どうしたらいいのか、悩み続けています。

心理カウンセリング③〜慟哭の初診〜

看護師による聞き取りは、およそ30分間続いた。

 

その間彼女は辛抱強くカルテを取り続け、僕を励まし続け、受け入れ続けた。

 

そして言った。

 

「カウンセリングは井戸を掘るのに似ています。先生もそうおっしゃっています。

 最初は泥水しか出ません。ドロドロした感情しか出ません。

 でも、泥を出し切れば、いつかきっと清流が出てきます」

 

僕は、救われたような気がした。

 

僕を取り巻くこのネガティブな感情も、吐き出してしまえば、おさらばすることができる。

 

希望が見えた瞬間だった。

 

 

そして、医師が待つ診療室に案内された。

 

これまた、和室で、リラックスできるようにしつらえた部屋になっていた。

 

医師は、僕を見た。

 

僕は敢えて目を見ないようにした。

 

それでも医師は僕を見続けていたので、これは敢えて目を合わせようとしているのだとわかり、ソファに座りながら医師の目を見た。

 

無条件で僕を受け入れている、包容力のある、力強い目だった。

 

新婚さんいらっしゃい!」のシナリオライターのおじいさんと同じ目だ、と思った。

 

鋭いけれど愛に溢れた目。

 

医師は、おじいさんだった。

 

彼は、看護師が書いたカルテに目を通した。

 

「このカウンセリングは時間かかるなぁ」とつぶやいた。

 

「これがなぁ、きついだよなぁ」と、ペンでカルテをペンペンと叩いた。

 

そこは僕の家族構成、つまり、双子の部分だった。

 

 

彼は「双子の親であることが、僕を余計に辛くさせている」という。

 

彼がポツリポツリ話しているのをつい遮った。

 

「双子でも、『僕似の子』と『妻似の子』とがいるんですが、僕に似ている方をかわいいと思えないんです」

 

僕の涙腺は、タガが外れてしまっていた。

 

医師は

「そういうものだ」と言った。

 

「与えてもらっていないものは、与えられない」。

 

でも、僕はそれを受け入れたくなかった。

 

「でも、そうすると、この子も僕みたいになってしまうんじゃないですか?」

 

「連鎖するってことかい?そうだね。親の愛情不足は連鎖し続けて起きている。

 でも、気付いたから。なんとかなるでしょ」と言った。

 

「なんとかなるでしょ」は、どこか投げやりに聞こえなくもなかったが、本当に何とかなると思っているようでもあった。

 

そして続けた。

 

「ちょっとひどいことを言うかも知れないけど」と前置きしてから

 

「あなたの母親は、あたなの言う通り、学歴コンプレックスがあって、冷淡で、でも自分のことは愛情深いと思っている。その通りなんだよ」と言った。

 

僕は深く頷いた。

 

そして医師は

「僕は母親の葬式にすら行ってない。足が向かなかった」とあけすけに言った。

 

僕は驚いて医師を見た。

 

彼は何てことない、という表情だった。

 

「この近藤章久という人にカウンセリングしてもらったの」と、

机の上に積まれた本を見せた。

 

ホーナイの最終講義―精神分析療法を学ぶ人へ」という本で、近藤章久氏が翻訳した本だった。

 

そうなのか。彼も母親との関係で苦しんだのか。

 

そういえば、加藤諦三氏もそうだった。

 

僕が

「先生も本を書かれたんですね」と、一緒に積まれていた心の病の診察室―あなたの愛が子どもを救う」を手で示した。

 

医師は、他の精神科医を批判した箇所に触れ

「ここがちょっとトラベルになってねぇ」と裏話をしてくれた。

 

 

カウンセリングを続けることになった。

 

医師は僕を「感受性が強い」と表現した。

 

それがどんな意味合いを含むのかは、わからなかった。